ロシア、それは日本の北方からヨーロッパに広がる、面積世界一の大国である。かつて、ソビエト連邦の中核として、アメリカ合衆国と対峙したその軍事力は、今でも侮れないものがある。
さて、ロシア国歌をご存じだろうか。2000年に制定された、"Россия, священная наша держава" から始まる、雄大な国歌である。しかし、ソ連崩壊直後の国歌が、それとは異なるものであったことは、ご存じない方も多いことだろう。
そもそも、ロシアの国歌はどのような歴史をたどってきたのだろうか。歴史上に残っている中で、最初の国歌は、18世紀末に作曲された『勝利の雷、響き渡らせ!』である。但しこれは、非公式のものとされている。曲調はポロネーズであり、女帝エカテリーナ2世を称える歌詞が、幾度か現れる。
次いで、公式なものとして『ロシアの祈禱者』が制定された。しかしこれもメロディーは、国歌に詳しい方々ならご存じのイギリス国歌『女王陛下万歳』と同一のものであった(言ってしまえば替え歌)。
そして、1833年に改めて制定されたのが『神よ、ツァーリを護り給え』である。若干の宗教要素が入ったこの国歌は、ツァーリ(皇帝)の威厳と権威を象徴するものであった。歌詞は以下のようなものである。(Wikipedia の英語訳を、更に日本語意訳した)
神よ、ツァーリを護り給え!
力強く、我らの栄光の為に、
敵を恐れさせるために、
統べ給え、ロシア正教の皇帝よ
神よ、ツァーリを護り給え!
また、この国歌は、1910年代に録音されたものと思われるものが、ネット上に現存する(インターネットに感謝)。
そんなツァーリによる事実上の専制体制が、1917年、ロシア二月革命で崩壊する。臨時政府は、フランス国家『ラ・マルセイエーズ』のメロディーをそのまま使い、歌詞のみを変えた『労働者のマルセイエーズ』を新国歌に制定した。しかしこの国歌も、レーニン率いるボリシェヴィキによる十月革命によってソビエト政府が誕生したのを機に、翌年には国際的労働歌である『インターナショナル』に取って代わられた。因みにインターナショナルという曲は、言語によって歌詞の意味が異なる。興味のある方は、歌詞を見比べながら聞き比べてはいかがか。
さて、ここで皆様お待ちかねの、あの「デーーーーン」のお出ましである。このメロディーは、アレクサンドル・アレクサンドロフによって作られた。またこの曲は、元々『ボリシェヴィキ賛歌』(作詞:ヴァシーリー・レベデフ・クマチ)として作曲されたもので、国歌とすることを目的としたものではなかった(ここ重要)。その1番の歌詞の日本語意訳はコチラ↓
前例無き自由なる子供達
今日我らの誇り高き歌を歌わん
世界で最も力強き党
これまでで最上の偉人
栄光に囲まれ、意志によって統合された
より力強く、永遠に栄えよ
レーニンの党、スターリンの党
賢明なる党、ボリシェヴィキ!
制定当時、スターリン体制真っただ中、そして大粛清の嵐が吹き荒れていた時代であり、レーニンと共に、スターリンに対する称賛も、この後4番の歌詞にも登場する。
そんな中、1941年、ナチスドイツによる奇襲攻撃により独ソ戦が始まった。大粛清において、大量に優秀な将校が処刑されたソビエト赤軍は、ペトログラードやモスクワに猛攻を仕掛けられる等、劣勢を強いられた。そこでスターリンは、ナショナリズムを高揚させるべく、新たな国歌の制定を命じた。多数の作品が提案されたが、何れもソビエト首脳部にとってはピンとくるものがなかったようで、結果的に、先述のアレクサンドロフ作曲のメロディーをそのまま使い、そこに新たにセルゲイ・ミハイロフによる歌詞に入れ替えたものを採用した。それが、かの有名な『ソビエト連邦国歌』である。制定当時の歌詞は、戦時中ということもあり戦争色が強かった上、スターリンを称賛する歌詞も入れられた。
しかしこの国歌は、1955年以降、『歌われ』なくなった。原因は、スターリンの跡を継いだフルシチョフにあり、彼はスターリンについて批判する声明(スターリン批判)を行い、政治犯を一部釈放したり、スターリン時代で定めた政策の大半を変更したのである。そしてその批判の余波は国歌にも及び、スターリンを称賛する歌詞を含む国歌も、メロディーだけ演奏され続けたものの、口に出して歌われなくなったのであった。
この状況が変わったのが1977年、ブレジネフ体制下においてであった。彼は、一部の歌詞を変更した上で、国歌に制定し直すことを決定し、その歌詞の変更を担当したのは、1944年のものを作詞したミハイロフ本人であった。そうして出来上がった歌詞こそが、我々がよく耳にする『ソビエト連邦国歌』である。この日本語意訳は、巷に沢山溢れているので、そちらで参照していただきたい。
そして、ソビエト連邦、正式名称:ソヴィエト社会主義共和国連邦は、ゴルバチョフによるペレストロイカも空しく、1991年12月26日、崩壊した。新たに、ロシア連邦の他14か国が誕生した。その内、ロシア連邦では、新国歌として『愛国歌』が制定された。この国歌のメロディーは、19世紀の偉大な作曲家の一人であるミハイル・グリンカによって作られたものであったが、歌詞は制定されなかった。しかし、この国歌、全く受けなかった。ロシア政府・エリツィン政権は、ボロボロな政治経済の状況(殆ど行き当たりばったり)の中、歌詞の制定に着手するが、上手く行かなかった。結局、プーチン政権下で、ソビエト連邦国歌のメロディーをそのまま使い、再度ミハイロフによってほぼ全面的に書き直された歌詞に入れ替えた上で誕生したのが、現行の『ロシア連邦国歌』である。最後に、この国歌の1番の日本語意訳を以下に書いておこう。
ロシア、聖なる我が国
ロシア、愛しき我が国
力強き意思、大いなる栄光
如何なる時も汝の尊厳あらん!
讃えられて在れ、自由なる我が祖国
いにしえからの同胞の結束
祖先より授りし民族の英知!
讃えられて在れ!我等我が国を誇らん!
国歌を好む界隈では、国歌を聞くのもロマンがあって良いものだが、こうした国歌の変遷の歴史を調べていくのも、また一興というものである。これを最後まで読んでくれたあなたも、国歌の沼にハマってはいかがだろうか。
筆:亜相
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